株式会社鳥越ネットワークについて
耕作放棄地が増える中、田畑を守る取り組み。過去の慣例にとらわれず独自で仕組みを作り、「農業で楽しい未来を紡ぐ」をビジョンに掲げ有機栽培にこだわった結果、未来につながる持続可能な農業推進コンクール有機農業・環境保全型農業部門 九州農政局長賞受賞された、鳥越ネットワークの鳥越専務にお話をお聞きしました。
株式会社 鳥越ネットワーク
専務取締役 鳥越 耕輔様
https://www.torigoe-network.com/
Q、農業法人をいつ立ち上げられましたかお聞かせください。
A、2017年の9月に法人化しました。その前は個人で、人を雇いながらやっていました。2017年に法人化した理由は、アルバイトやパートまで含めて20人ほどになったので仕組みを変えるためです。
Q、従業員数(社員・アルバイト・研修生)に分けてお聞かせください。
A、現在、全員で30名です。日本人の社員が9名、ベトナムの実習生が8名、パートさんが13名、あとは社長と専務の私です。
Q、鳥越専務が農業を始められた、背景やきっかけ・理由についてお聞かせください。
A、少し長くなりますが、農業をやろうというきっかけとなったのは、和郷園の木内さんですね。
株式会社和郷 代表取締役
農事組合法人和郷園 代表理事 木内博一
Q、専務になられる前の経歴について、時系列でお聞かせください。
A、私は元々、農業が大嫌いでした。私は長男ですが、田植えや稲刈りは弟と妹に手伝わせて、ずっと逃げていました。そんな中で、小学校3年生のときに、ある夢ができました。その当時ボクシングに興味がりたため、辰吉丈一郎選手に憧れていました。辰吉選手と同じ大阪帝拳に入って、プロボクサーになりたいという夢ができました。そのことを親に話すと「高校を卒業するまでは待て」と言われたため、高校を卒業してから大阪に行きました。ただし、大阪に行く条件として「4年間、大学に行かせたつもりで大阪に行かせてやる。4年で芽が出なかったら田川に帰ってこい」というものでした。すると、ちょうど4年目にプロテストに受かり、大阪で1試合デビュー戦を飾ることができました。
そんなときに、親から電話がかかってきました。「お前がそうやって夢を叶えたのもわかるし、気持ちもわかる。これが最後の確認だけど、もしお前が田川に帰ってくる気があれば、ビニールハウスを増設して、もっと人を雇用して、違う形の農業をやっていきたいと思う。でも、お前が帰ってこないのなら、このまま個人の農家としてやっていく」という話でした。ちょうどその頃、田川の強いボクシングジムに、日本記録を作るような有名な選手がいました。「その人がいるからいいかな」と思い、田川に帰ろうと思いました。でも、ボクシングの世界での移籍は、「師匠を裏切る」ことになるので、なかなか許してくれないのです。ただ、守口東郷の会長がとても良い方で、「わかった」と言って移籍書を書いてくれました。それで私は田川に帰ってきました。
ただ、帰ってきたはいいものの、私は鍬1本すら持ったことがなかったんです。「畝ってなに?」という感じでした。そんなので畑に行くから、毎日のように親父とケンカしていました。だからだんだん嫌になってきて、農業辞めて、もう1度大阪でやり直そうと思いました。
そんなときに、たまたま夜中にテレビをつけていたら「かっこいい農業を目指す」といった内容で、和郷園の木内さんが出ていました。木内さんはスーツを着て、ベンツに乗っていました。その姿を見たときに、私の中で農業のイメージがコロッと変わりました。それまでの農業のイメージは、モンペをはいて鍬を持った近所のおばあちゃんでした。でも木内さんを見たときに「こんな農家の人がいるんだ!!」と感じました。
それから3か月くらいして、野菜を出荷しているグリーンコープ(生協)さんの研修で、千葉県に行くことになりました。当時生産者の会の会長をしていた親父に、一緒に行くかと誘われたのです。私は遊ぶつもりで付いて行きました。すると、研修先が偶然にも木内さんの和郷園でした。木内さんの話を聞くうちに、農業の感覚が変わってくるのを感じました。特に印象的だったのが、働いている人の中に、20代30代の若手がたくさんいたことです。その人たちはみんな、目が輝いていました。「俺は農業で独立するんだ」みたいな目をしていたました。そのときに私もその目が「かっこいいな」と思い「俺は農業という仕事を馬鹿にしていた。どうせやるなら、俺もベンツくらい乗ってやろう」と思って、そこから気持ちがガラッと変わりました。
きっかけは木内さんでしたが、視野を広げると、農業で頑張っている人は九州にもたくさんいました。有機栽培でにんじんを中心に栽培されている益城町の吉水さんや、宮崎で加工用ほうれん草を3000tほど作られている方。だんだんと周りにそういった人たちが増えきました。そんな人たちと食事をご一緒させていただいている中で、「農業ってすごく可能性あるな」と思うようになりました。「どうせやるなら、この人たちみたいになりたいな」と思いました。
Q、主要栽培作物についてお聞かせください。
A、セロリがメインで、夏はミニトマトを作っています。どうしてセロリをメインにしているかというと、有機栽培のセロリならトップをとれると思ったからです。弊社のビニールハウスは全部で1.3haあるのですが、そのうち0.9haほどは有機JASのセロリを栽培しています。有機栽培のセロリは栽培が難しく、全国的に見ても数軒しかありません。おそらく、0.9haもの面積をしているところはないと思います。私たちが、全国でも1番か2番ではないかと思います。だから、一点集中で、有機栽培のセロリならトップになれるかなと思ったので、セロリをメインに据えています。
Q、栽培面積についてお聞かせください。
A、1.3haのうち、0.4haはスナップエンドウやパクチーなど、さまざまなものを作っています。0.9haはセロリとミニトマト・トマトを年間で回しています。セロリの裏作として、夏にミニトマトを0.5ha、トマトを0.4haというように栽培しています。
Q、農業生産法人以外で、他事業を行ってらっしゃいますか?
A、(株)鳥越ネットワークで農業生産と卸の2つ、それ以外だと、赤村有機農業生産組合、(株)農創会、九州のたのしい農業を作る協同組合をしています。
Q、農業生産法人ではどのような事業を行っていますか?
A、(株)鳥越ネットワークは、野菜の生産だけでなく卸もやっています。先ほど申し上げた九州の生産者が作ったものを、販売窓口としてグリーンコープさんへ卸しています。私たちは「農家産直」と呼んでいます。卸を始めたきっかけは、親父がやっていた菊栽培です。もともと、私の家は菊農家でした。この辺りは電照菊の産地で、親父も45年前に菊の栽培を始めました。それで40年前に私が生まれたときに、親父が私を畑に連れて行くと、私が畑の土を口にいれようとしたらしいのです。花って、すごい量の農薬を使うじゃないですか。親父は「子どもが口に入れられないような土を使う農業」に対して疑問を持つようになって、一転して花も野菜も無農薬栽培に切り替えました。だから、村中からすごい苦情や嫌味を言われました。日が落ちて、夜にならないと畑に行けないほどに。昼間畑に行くと「お前が農薬を撒かないから、こっちに虫がくるだろう」と、隣の人に言われたようです。当然のように共販には出せなかったので、自分で作ったものを自分で売るという考え方しかできなかったのです。だから田川から福岡まで持って行って、福岡の団地でブルーシートを敷いて、野菜セットを販売していました。
それを10年続けていると、グリーンコープさんと出会いました。グリーンコープさんもできたばかりでしたので、無農薬野菜を探していたようです。「うちと取引しませんか?」とお話をいただき、そこから卸事業が始まりました。グリーンコープさんは店舗をたくさん運営している、親父は生産者をたくさん知っている。それが卸の始まりでした。
そのあとは、奈良県の王隠堂さんからも話が来ました。そして、四国でミカンを作っている無茶々園さん、島根県のやさか共同農場さん、九州は私たちの4社で、西日本ファーマーズユニオンという西日本の大きな生産者の団体を作ることになりました。取引先は、東京の生活クラブ生協さんとパルシステム連合会でした。この話の中で、九州の生産者をまとめてくれないかと頼まれました。グリーンコープさんとの取引に加え、西日本ファーマーズユニオンでの活動でも、ネットワークは広がっていきましたね。
Q、赤村有機農業生産組合ではどのような事業を行っていますか?
A、17人ほどで、米を1000~1200俵生産して、グリーンコープさんに卸しています。米は有機JASSのものと、無農薬のものがあります。
Q、(株)農創会ではどのような事業を行っていますか?
A、(株)農創会は耕作放棄地問題を解消するために設立しました。赤村では、専業で農業している人は10人ほどしかいません。ほとんどが、兼業農家です。赤村の農地は全部で300haほどですが、誰がこの農地を守っていくかと考えたときに、5年後を考えるだけでも怖いのです。だから3年前に(株)農創会を立ち上げました。耕作放棄地を開墾して、そこで麦と大豆を作っています。10月に立ち上げて、1ヶ月で7haまで広がりました。開墾は本当に大変で、田んぼに木が生えていたりするので、ユンボで掘り起こしたり、チェーンソーで切ったりしました。
現在では、開墾した農地は35haまで広がっています。赤村地域の約1割ですね。麦大豆を選んだ理由は、助成金の関係です。どちらでも、10aあたり8~9万円の助成金が受けられます。300haだと2700万円の補助が降りて機械などが買えるわけです。実際大きな投資をしました。将来のことを考えて、母体となるところがないといけないと思って、この会社もやっています。
Q、九州のたのしい農業を作る協同組合ではどのような事業を行っていますか?
A、元々は、西日本ファーマーズユニオンがきっかけで、九州農業協同生産組合という組織を作りました。西日本ファーマーズユニオンは単に出荷するだけの組合でしたが、それだとあまり面白くない。「農業するなら、みんなが幸せになって、楽しい気持ちを持ってやっていきたいよね」と思う人たちに声を掛けたら、17産地くらいが集まりました。ここから、共同販売や肥料の共同購入、ミニトマトのパックをエフピコさんとタイアップするなどの取り組みをしてきました。
実はここ、現在の鳥越ネットワークのオフィスが協同組合の事務所です。2016年、(株)鳥越ネットワークより前に設立しています。外国人の受け入れ実習機関で、農家のインフラを整備していこうという方針で運営しています。
株式会社鳥越ネットワークの人材育成について
Q、社長が今、販売・人材・生産管理の中で最も気になられる面はどれかお聞かせください。
A、人材育成と生産管理です。
Q、従業員様の平均年齢についてお聞かせください。(年才くらいの方が多いか?)
A、33〜34歳だと思います。
Q、平均勤続年数はどれくらいかお聞かせください。
A、最近新しい人がたくさん入ったので、平均すると2年ほどです。
Q、人材育成について何か実施されていることはありますか?
A、私が何かしているというよりも、現場の社員が率先して後輩を育ててくれています。私のところは、日本人はもちろんですが、ベトナム人実習生がとても優秀です。7年前に初めて2人入れたときから、1人が出荷のリーダーで、もう1人が収穫のリーダーをしてくれました。日本人のパートさんに指示を出し、出荷・発注書の仕分けや記入もすべてやってくれました。その2人が主になって後輩たちを育ててくれました。今は8人の実習生がいますが、みんな優秀です。
どんな人が日本に来るのかは、実はベトナムの送り出しの機関で決まります。だから8割はその機関のおかげです。そこは国営で、3000人くらい生徒がいます。規律が厳しくて、7か月ほど、ひたすら日本語を教えます。そして日本に来て1ヶ月間、日本のルールを教えます。私もそこの先生をしていますが、みんな教育されているし、ある程度日本語がわかるから楽です。やる気もありますし。だから今は、ベトナム人実習生が出荷や収穫のことを決めています。日本人の社員たちにも教えてくれています。ベトナム人実習生が日本人を教えてくれることには本当に助かっています。
現在、私たちの会社へ来てくれているベトナム人実習生の中には、最初に来てくれていたベトナム人実習生の妹がいます。今度その妹が、義理のお姉さんを連れてきました。おそらくベトナム人同士で私たちの会社の環境を良く言ってくれているのでしょう。嬉しいことですね。
中でも中心になっているのは、ベトナム人実習生の女性と、8月くらいに入社した日本人です。その人は42歳で、18年ほど公務員をしていました。その2人が話し合って、さまざまなことを決めています。そこに10年ほど勤めてくれている方が栽培のアドバイスしてくれます。その他、30代男性社員1名、20代前半女性社員1名が中心ですね。
だから現場発信の人材教育です。私はほとんど何も言っていません。
そして私にも夢ができました。ベトナムで農場を設立して、日本から帰ってきた実習生たちを引き受けて一緒に農業がしたい。難しいかもしれないけど、現地に帰った実習生たちを日本の給料で雇いたいと思います。そうすれば、本当にお互いにとって良い関係でいられると思います。
農業生産における苦労と工夫について
Q、農業生産している中で過去一番苦労した点についてお聞かせください。
A、2019年のことですが、セロリの苗に、アブラムシが付いてきました。私たちは有機JASなので、化学農薬を使えません。最初は手でアブラムシを取り除いていたのですが、すごい勢いで虫が広がって、0.9ha作付けしたうちの0.5haがダメになってしまいました。金額にすると2000万円ほどになります。
Q、それはどのようにして解決されたかお聞かせください。
A、今年は前もって苗屋さんに「0.9ha、3万6千本くらい買います」とお伝えしました。苗屋さんも反省してくれて、私たち専用のビニールハウスで苗を管理してくれました。すると、とても品質の良い苗がきました。それに加えて、9、10、11月の天気が良かったので、よく成長しました。市場では野菜の価格は下がりましたが、私たちは有機栽培でやっているので価格の変動には関係なく、過去一番の売り上げとなりました。苗屋さんも、元々有機栽培用の苗をしていなかったので、有機栽培用の苗の市場もあると価値を見出してくれたのでしょう。だから私たちのために、育苗ハウスを大きくすると言ってくれました。
1回の失敗を仕入れ先さんと問題解決して、最高の結果にもっていくことができました。
Q、農業生産において、独自で工夫されているところがあればお聞かせください。
A、土作りですね。特に堆肥作りを工夫しています。熊本県に有機栽培でトマトを5haしている澤村さんのところに習いに行きました。澤村さんの堆肥作りは、まず1haほどの畑に、河川敷の刈草を山積みにします。それを1年に1回切り替えします。すると、3年経つと山がなくなって土に還り始めるのです。そこに草が生えているので、窒素を十分に含んでいることがわかりました。どうして澤村さんが畜産堆肥を入れなくなったかというと、抗生物質が気になるからです。今の家畜は、病気が怖いので抗生物質が与えられています。そして、それが糞として出てきます。「抗生物質の入った畜産堆肥が良いわけがない」と言って、澤村さんは草のみで堆肥を作られます。実は河川敷の刈草は、土建業者にとっては産業廃棄物になります。お金を払って処理しているのです。それを澤村さんは、1haの広大な畑に、2t車で1500台も用意してもらっています。
それで同じような環境が田川にないかなと探していたら、たまたま同じことを土建業者がしていました。河川敷の刈草8割に、熱を入れるために牛糞を2割、そこに乳酸菌を入れた堆肥です。その堆肥を3年間使い続けたら、収量がかなり増えました。最初は、10aあたり8tの堆肥を入れました。あまりにも大変だったため「もうこんなことはできない。やめよう」と親父に言いました。でも親父に「3年はやってみよう」と言われたので、だまされたと思って続けました。すると、それまで1反あたり6tだったセロリが、3年すると8tとれました。4年目には9tにもなりました。「3年経つとここまで変わるのか」と驚きました。最初は10aだけで試験的に堆肥を入れていたので、収量が増えて以降は全部の畑に機械を使って堆肥を入れています。収量はセロリだと7~8t、ミニトマトは2か月半で5t、大玉トマトは6~7tくらいです。土が良いと病気になりにくいですね。人間と一緒で、作物に抵抗力がつきます。だから、病原菌がついても跳ね返せるんですね。
Q、現在、農業生産において課題があればお聞かせください。
A、制度的な問題になるのですが、有機JASには二酸化炭素の発生機が使えません。せっかく自動環境・潅水制御装置を入れて潅水制御をしているのに、環境制御機器を連動させることができないのです。これが腑に落ちません。果菜類は二酸化炭素の有無で収量が全然違ってきますから。
Q、その課題に向けて何か施策をしている、または検討していることがあればお聞かせください。
A、ずっと言っているのですが、制度的なものなのでなかなか難しいですね。
鳥越専務が目指す農業の未来
Q、今後の展開についてお考えになられていることがあればお聞かせください。
A、今年からインターネットでの販売を強化しようと思っています。コンサルティング会社に頼んで、本格的に始めようと思っています。生協さんメインにしつつ、直販を3割くらいまで増やしたいですね。
Q、社長が考えられる今後の農業のあるべき姿をお聞かせください。
A、若い人たちが誇りを持てるような農業であるべきだと思います。「農業をやって良かった」とか、「農業をして幸せだった」と思えるような。農業を基軸とした社会的地位の向上ができればいいですね。今は、農業は下に見られている気がします。子どもに「将来何になりたい?」と聞くと、野球選手や消防士、警察官って答える子が多いでしょ。その中の、3番目でもいいから、「農業をやりたい」「俺はトマト作りたいんよ」と子どもが言うようにしたいです。そのためには、農業で儲かることが必要だと思います。私が木内さんを見て思ったように、「農業は儲かる、そして、かっこいい!」ということを私たちが見せないと、次の世代は育ちません。そのことを常々感じています。
インタビューを終えて
元プロボクサーという異色の農業経営者である、鳥越専務。仕方なしに農業をしてた頃から農業って儲かるんだ!という心境の変化は、一人の方との出会いによって起こりました。
鳥越専務からは自分が儲かる農業の見本になるという強い思いが伝わってきました。
これから農業を始められる方、すでに就農されている方は、是非参考にして頂きたいと思います。